2009年12月19日土曜日

「百姓」とは何か その2

農政の動きが激しくなる中、
金融機関向け専門誌への関連記事の出稿や
農業ビジネス専門誌の作業に追われています。

最近改めて圃場を見たり、
農業経営者の方に会うたびに
感じること、それは「誇り」。

農村社会への憧憬と
食文化の楽しさだけを追い求める
「ひるどき日本列島」など
テレビに映し出されてきた世界とは
一線を画した真剣勝負の
零細・中小企業、ベンチャー企業の匂いがする。

網野歴史学が古文書で再会した
江戸時代の“百姓”たちは
今も生きているのだと思います。

いまさら「農商工連携」なんて言葉を使うけど、
その連携を政策的にずたずたにしてきたのは
いったい誰だ。

自分が農家の経験がないもんだから
最近、恥ずかしい。

僕が子供の頃、農家の倅が、
農業を恥ずかしいと言っていたっけ。

これからは「商工優位」の農商工連携ではなく
「農優位」の農商工連携。

企業が安直に圃場に進出してくる前に、
農業経営者たちが起業家として
経済のど真ん中に攻め込んでいってもらいたい。

それが江戸時代から続く
日本の“百姓”の姿だと思うのです。


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2009年12月14日月曜日

「百姓」とは何か

最近、仕事の合間の気分転換に、30分ほど歴史家の網野善彦の著書をめくっています。
近代歴史学に衝撃を与え、歴史教科書にも影響を与えた『日本の歴史』全26巻(講談社2000年)です。この中で、一番エキサイティングなのが00巻の『「日本」とは何か』です。

網野氏は、江戸時代の奥能登・輪島で、当時の「農家」が、船商売で大きなビジネスをしていたこと証明する古文書を発見しました。当時、サハリン南部にまで交易圏が広がっていて、金融業も営んでいたというのです。

さらに、その勇敢な船乗りは「下人」と呼ばれていた民。ダイナミックな事業を様々なタイプの民が入り乱れて担っていた日常が目に浮かびます。専門職として中小企業に雇用されるような、人材の労働市場もあったのではないでしょうか。

農業従事者の占める人口比率の定説の引用元を突き止めて間違いを論考したり、襖の下張り紙に隠されていた古文書の研究も引用されていました。なにしろ、手にとって読んでみることをお勧めします。

まるで推理小説を読むように、今日いわれるところの一次産業、二次産業、三次産業を「百姓」とよばれた民が担っていたという事実が解き明かされていきます。

200年後の現代日本。全国で地域経済活性化事業に注目が集っていますが、特に「農商工連携」という言葉をわざわざ使わなければならないことに苛立ちを覚えます。


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2009年12月13日日曜日

200年前の武家屋敷

年の瀬が近付いてきましたが、取り急ぎひとつお知らせです。
200年前の武家屋敷の利用希望者を募集します。
詳しくはこちらからアクセスしてください。


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